大阪府柏原市
前方後円墳
玉手山7号墳
| 所在地 | 大阪府柏原市 |
| 形状 | 前方後円墳 |
| 墳丘長 | 110 m |
| 築造時期 | 4世紀前半〜中頃 |
| 指定区分 | 未指定 |
概要
玉手山古墳群で最大級、墳丘が良好に残る4世紀前半〜中頃の前方後円墳。行燈山古墳と相似形で、後円部墳頂には大坂夏の陣の供養塔、前方部には尾張藩主徳川光友の墓所がある。
出土品・調査研究
滑石製合子(蓋・身)、滑石製小型丸底壺、二重口縁の土師器壺、土師器直口壺、円筒埴輪、家形埴輪とみられる破片。
指定・治定と考古学的見解
指定・治定
後円部は柏原市立玉手山公園内、前方部は安福寺境内にある。
考古学的見解
玉手山丘陵の頂部に前方部を西に向けて築かれた墳丘長約110mの前方後円墳。かつて150mとされたが、2001〜2002年の大阪市立大学の発掘調査で約110mと確認された。後円部・前方部とも3段築成で、各段のテラスがくびれ部でスロープ状につながり、墳丘の大部分は地山を整形する。平面・立面とも奈良県の行燈山古墳(崇神陵)に酷似し、同じ設計で築かれたとみられる。後円部中央の墓坑には石材がなく石棺直葬の可能性が考えられ、その南西にほぼ完存する粘土槨がある。群内で最も新しい古墳の一つ。
探索メモ
玉手山公園の東(国分側)入口を入ってすぐが後円部。前方部は安福寺境内で、徳川光友夫妻と子の宝篋印塔3基が建つ。墳頂の宝篋印塔は安福寺の珂憶上人が大坂夏の陣の戦没者供養に建てたもの。後円部のすぐ北にあった6号墳(墳丘長69m)は1959年の調査後に消滅した。
出典
最終更新:
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